翻訳と辞書 |
西部戦線 (第二次世界大戦) : ウィキペディア日本語版 | 西部戦線 (第二次世界大戦)[せいぶせんせん]
第二次世界大戦における西部戦線(せいぶせんせん、Western Front)は、のうち、ドイツおよびその西方に位置するフランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、デンマークなどにおける、イギリス・フランス・アメリカ合衆国などの西側諸国と、ナチス・ドイツをはじめとする枢軸国の間で行われた一連の戦闘を指す。対する東部戦線は、枢軸国とソビエト連邦の戦闘を指す(独ソ戦)。 == 1939年から1940年 ==
ドイツ陸軍のポーランド侵攻と、それを受けて行われたイギリスおよびフランスの宣戦布告により第二次世界大戦は開始された。英仏両軍はマジノ線からベルギー国境にかけて部隊を配置したが、第一次世界大戦における防御側有利の経験に基づいて積極的に攻撃を仕掛けることはなかった。この時期はまやかし戦争と呼ばれる。1940年4月、ドイツ軍は北欧の資源確保を目的としてデンマークおよびノルウェーに侵攻した(ヴェーザー演習作戦)。ドイツ軍も南北に長いノルウェー全土を短期間に占領することはできなかったが、徐々に占領地域を広げ、連合軍はノルウェーから撤退した。 1940年5月、ドイツ軍によるベネルクス三国およびフランス侵攻が開始された。戦車の集団的運用を核にしたドイツ軍の電撃戦によって英仏軍の前線は突破され、フランス政府と軍首脳は数日の内に戦意を喪失した。英陸軍はダンケルクの戦いにおけるドイツ軍のミスによりイギリス海外派遣軍のほぼ全てを英国本土に撤退させる事に成功する。南方に進路を変えたドイツ軍はパリを始めとしたフランス北部を占領し、さらにイタリア王国もフランスに対して侵攻を開始した。首相に指名されていた前大戦の英雄であるフィリップ・ペタン政府との間に休戦条約が結ばれた。 フランス北部を占領下においたドイツ軍の矛先はブリテン島へと向けられた。上陸作戦の前に制空権を確保しようとするドイツ空軍とそれを迎え撃つ英空軍との間で行われたブリテンの戦いにおいてイギリスはドイツに勝利を収め、ドイツはイギリス侵攻計画を中止する。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西部戦線 (第二次世界大戦)」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|